日本の建国者は、神武天皇であり、歴史的には、BC660年といわれる。では、神武天皇は、日本にいたのか?約2万年の縄文時代の末期、ヤぺテ族系列の白系ロシアのアイヌ人が 北方より,下の南方より、黒人ハム族のポリネシア系の沖縄人が、九州に、西部からは、セム族の中國,朝鮮半島より、移動して来た3系統が、日本列等に、住んでいて、日本国は、まだ統一されていなかった。つまり、神武天皇は、日本列等の外部から、来て、日本に、統一国家を作った天皇の先祖と日本民族の先祖である。古事記は、712年、日本書紀は、720年、天武天皇の命令で、編纂された。①遺伝学的には、日本民族は、ヤップYAPのDE系統を持つものであり、その系統のDNA所有者は、世界の東部の先端/中近東のユダヤ人である。ユダヤ人住んでいた中東は、乾燥した砂漠地帯であり、主食も米でなく、パンである。主食が、パンより、米に変わったのは、日本民族の源流は、地球の東部の西から東へ、海路・陸路の南北シルクロードを経由して、移動して来たことの証拠である。中国・朝鮮人と日本人は、大枠では、セム族であるが、距離的に近くとも、中国・朝鮮人は、Dは、持たない。 ②二イギノ尊は、天照大神より、日本民族の、食料として、稲作を与えらえ、大和民族は、特に、戦前までは、コメを主食にしてきました。稲作は、水田で、連作可能な食糧です。コメの原産地は、中国南部,タイ・ラオス等の高温多湿の地域です。コメを主食にし、南北に長い島国なので、多様な果物、更に周囲が、海に囲まれ、豊富な漁類に恵まれています。これは、人間の歯型=臼歯5:門歯2:犬歯1の比率に、適応した食物が、十分にある恵まれた民族であった。③神武天皇の日本名は、「カムヤマトイワレビコ」であり、二二ギ尊ー>山幸彦ー>ウガヤフキアエズの子であるが、ユダヤ教の正典/旧約には、二二ギに相当するヤコブー>ヨセフー>エフライムの子であるベリアからカナン征服者ヨシュア/という相似形で、「カムヤマト---」は、ヘブル語で「サマリア(北イスラエル10士族の都)の王」の意味だ。中東から、エジプトー>南北シルクロードー>中国ー>朝鮮半島と移動したので、故郷でない土地の異教宗教の神々の影響の為、神道は、多神教の風土になるのも悪の誘惑を避けられなかった事情が、あったのだろう。さらに、ひらがな・カタカナの源流も、中国語、へブル語の2説等あります。